僕が音楽ライブの記事を書く時に比較的
大人のプレイヤー、40、50代~の人が
多いのには大きく2つの理由があります
1つは、その位の歳になると音に深みが
出てきて表現力に艶がある人が多いこと
20~30年と楽器を続けたプレイヤーが
ちょうど脂が乗ってきた頃だと思います
そしてもう1つは、40代~になると体の
調子が崩れて音楽活動ができなくなる
人が出てくる可能性が高くなるからです
だからまあ、そうなる前に記事として
カタチに残したいなと思っていまして
僕も含めて、体には気を遣っていますが
いつ、どうなるか分からないですからね
今回は残念ながら57歳という年齢にて
亡くなってしまった方のお話なのですが
本当に突然のことで、とても驚きました
3つ、4つのバンドをかけもちしていた
とてもアクティブなドラマーでしたから
今でもちょっと実感が沸いてきません
記事の写真のライブにも出演予定でした
好きなドラムを叩き続けたSさん
2020年11月、千葉でROSEMARYという
バンドのドラムを叩くはずだったSさん
僕が記事にしたバンドに数多く参加され
何度も素晴らしいプレイを聴きました
初台ドアーズの楽屋でKISSのピーターの
メイクをした彼が、僕の隣に座った時
「俺だよ俺、分かる?」と話しかけて
くれた時のこと今でも鮮明に覚えてます
ああ、逝っちゃたんだなぁ・・・
社会人で複数のバンドで活動することは
とても忙しく、大変だったと思います
しかもドラムで肉体的にもキツイです
僕は「何でそこまでやるんだろう?」と
不思議に思っていたこともあるのですが
いま思えば何となく分かる気がします
いつかは果てる命、ならば好きなことを
好きなだけやってやろうじゃないか
そんな感じだったのかなぁ、と思います
自分の寿命を知ることはできませんが
明日そうなるかも、という感覚を持って
生きていたからこそ、沢山のバンドで
ドラムを叩き続けていたんじゃないかと
Sさんが与えてくれた大事な気付き
だから彼は幸せだったと僕は思うんです
もちろん、もっと沢山ライブをやって
沢山ドラムを叩きたかったと思いますが
命果てるまで続けてこれたわけですから
もし、人生に「もし」はありませんが
自分がSさんの立場でそうしなかったら
最期にもの凄く後悔する気がするんです
正直、コロナですっかりライブも減って
記事を書く為の取材も激減してしまい
僕の中の音楽に対するモチベーションが
ここ最近でかなり下がってきてました
でもこの記事がキッカケになりそうです
「やりたいことやっとけよ」という
Sさんの声が聴こえた気がしたんですね
彼への想いを音楽で伝えたメンバー
コロナ禍がこれだけ長く続いてしまって
僕のような人も沢山いると思いますが
最期の病院のベッドで「今」やりたい
ことを「やらなかった」時にどのくらい
自分が後悔するか想像してみて下さい
そう考えると、これはSさんが残した
僕たちへのメッセージかもしれませんね
Sさんと出演するはずだったバンドの
メンバーたちもヘルプのドラムを入れて
彼への追悼の想いを込めて演奏しました
20年近くも続いてきたバンドですから
その悲しみは想像もつかないほどですが
ライブは終始、明るい雰囲気で進んで
彼に感謝の気持ちを音楽で伝えてました
【関連記事】
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