
これは…想定外の事態だ。和紙が散乱する部屋の
下座で平伏する北斎を前に、僕は返す言葉を失った。
『 よ、よきにはからえ 』 突如、その異変を察知して
取り乱したディランが喋りだした。意味が違うだろ。
『…は?』それを聞き北斎は不思議そうに顔を上げる。
『 く、苦しゅうない 』 『 あー!えー、と、北斎どの 』
家斉に化けたディランが錯乱して意味不明の言葉を
連発するのを止めるため、僕はキッと彼女を睨んだ。
将軍が喋る時は合図するって決めてあっただろうが。
北斎は怪訝な顔でこちらを見ている。疑惑の表情だ。
マズいな…一度疑われると、その芽は育ちかねない。
これ以上、余計な疑いをかけられる前に強行突破だ。
『 将軍様、直々のご命令ですぞ?断られると申すか 』
僕は高圧的な態度で言った。この言葉の意味には
当然、お上の命令を断ったら死罪という含みもある。
北斎も充分それを理解した表情だった。『 我々… 』
何か喋り出そうとし、少し間を置いてこちらを見る。
その顔は何かを決意した達観したような表情だった。
『 我々、絵師は描きたいものを描くという不器用な
性分でして、命令通りに描くのが何とも難しく… 』
『 私が描きたいと思った時に描きます 』
言い切ると北斎は正座で背筋を伸ばし姿勢を改めた。
まるで切腹する前の侍のような雰囲気を出している。
ここまでとは…頑固もここまでくると天晴れだな。
ガラッ! 障子の開く音と同時に女性の声が響いた。
『 おとっつぁん、仕事だよ!…アレ?お客さん? 』
お栄は部屋に入り見渡すと、気まずそうな顔をした。